第4話|今では考えられない?2001年のソウルで驚いたこと
初めての韓国。
食べるものも、街の雰囲気も、人の様子も、日本とは違うことばかりだった。
今ではすっかり変わってしまったことも多いけど、2001年に初めて見たソウルには、びっくりしたことがたくさんあった。

2019年に撮った明洞。2001年当時の写真ではないけれど、夜の街のにぎやかさを見ると、初めてソウルへ行った頃を思い出す。
※この記事の写真は、一部2019年以降に撮影したものです。
地下鉄は便利。でも階段がきつい
移動は基本的に地下鉄を使っていた。
ただ、当時は今ほどエレベーターやエスカレーターが充実していなかったので、とにかく階段の上り下りが多かった。
しかも韓国の地下鉄の階段って、一段が高いのか、石でできているからなのか、なぜか日本より足が疲れる気がした。
当時37歳だった私でさえ、
「この階段きついなぁ〜」
と思っていたのに、腰の曲がったお年寄りが荷物を持ちながら普通に階段を上り下りしている。
それを見て、
「韓国のお年寄りって、すごく元気だなぁ」
と思ったのを覚えている。
地下鉄に乗った方が早くても、
「またあの階段か……」
と思うと、近いところなら歩いた方がいい。
明洞から南大門まで歩いたり、結局かなりの距離を徒歩で移動していた。

これは後年に撮った地下鉄の階段。今はエレベーターやエスカレーターも増えたけど、初めて行った頃は階段の上り下りがとにかく多かった。
外は極寒なのに、中は暑い
1月のソウルは寒く、マイナスは当たり前。
それは分かっていたので、日本からかなり寒さ対策をして行った。
ばばシャツも着て、タイツもはいて、防寒もしっかり。
ところが、困ったのは屋内だった。
お店の座敷はオンドルでポカポカ。
建物内も地下鉄も、とにかく暖房がガンガン効いている。
いや、効いているどころか、着込んでる私にはサウナ状態。
外はものすごく寒いのに、中へ入ると暑い。
寒さ対策をしすぎた私は、反対に汗をかいて大変だった(笑)。
当時の清渓川は、今とはまったく違った
今の清渓川が流れている姿しか知らない人には、たぶん想像しにくいと思う。
2001年当時の清渓川は川が道路で覆われ、その上には高速道路が走っていた。
高速道路の下には古いお店がずらっと並んでいて、私には大きな蚤の市みたいに見えた。
何を売っているのか分からないものもたくさんあったけど、見て歩くのは面白かった。
その店先で、日本の歌のCDが無造作に置かれているのを見たことも覚えている。
当時はまだ日本の大衆文化への規制が残っている時代だったので、
「あ、日本のCD売ってる!」
と、なんだかちょっと嬉しくなった。
清渓川が今のような姿になったのは、その後のこと。
今では、清渓川があるソウルが私にとっても当たり前になってしまったが、こうやって昔を思い出すと本当に変わったなぁと思う。

これも後年に撮った市場。商品が所狭しと並んでいる感じを見ると、初めてソウルで見た雑多な街の雰囲気を思い出す。
地下鉄の中にもびっくり
地下鉄に乗っていると、車内で物を売る人もよく見かけた。
座っていると、勝手に膝の上に商品を置かれて、
「買ってください」
と言わんばかりに回ってくる。
ほかにも印象に残っているのが、大音量で悲壮感ただよう音楽を流しながら車内を歩いていた人たち。
杖を持った目の見えない人と付き添いの人が一緒に車内を歩き、乗客に金銭的助けを求めていた。
日本の電車では見たことのない光景だったので、これにも本当に驚いた。
その後、韓国人の友達ができてからこの話をしたら、
「中には、そういうふりをしている人もいるらしいよ」
と聞いたこともある。
実際に私が見た人がどうだったのかはもちろん分からないけど、当時の私には地下鉄の中で見るものすべてがカルチャーショックだった。
明洞の街中や地下道の階段でも、物乞いをしている人を何度も見かけた。
特に今でも覚えているのが、明洞のメインストリートで見かけた人。
1月の寒いさなかに下半身にゴムのような黒いシートを巻き、小さな車輪のついた板に這いつくばって乗って、道路をズルズルと移動しながら物乞いをしていた。
それまで日本では見たことのない光景だったので、正直かなりショックを受けた。
韓国語って、みんな怒ってるの?
韓国へ行く前から、韓国語は語調が強いという印象があった。
日本のディズニーランドなどで韓国人のグループを見かけても、声を張って話しているので、
「喧嘩してるのかな?」
と思うことがあった。
韓国語が全く分からなかったから、本当に喧嘩しているのか、普通に話しているだけなのかも分からない(笑)。
実際にソウルへ行っても、とにかく街がにぎやかだった。
市場では呼び込みの声。
道にはたくさんの人。
屋台もずらっと並んでいる。
買い物しているおばちゃんたちも、大きな声でしゃべり笑っている。
私には、街全体がとにかく活気にあふれていて、熱い国に見えた。
韓国語を勉強するようになってから、
「あれは普通に話していただけだったんだ」
と分かることも多かったけど、その時はまだそんなことも知らない。
街も、人も、ただただうるさく、賑やかで、でもなぜか楽しそうな活気のある国に見えた。

2019年に東大門周辺で撮った風景。荷物の積み方も、人も、商売の仕方も、日本とは違う。そのごちゃっとした感じも、私が韓国で感じた面白さのひとつだった。
今では韓国=カフェだけど
今では韓国といえばカフェ。
ソウルへ行けば、おしゃれなカフェがいくらでもある。
でも当時の私には、韓国で美味しいコーヒーを飲むのが結構大変だった。
ブラックコーヒーを頼むと、
「出がらしみたい……」
と思うくらい薄かったり、スティックコーヒーは反対にものすごく甘かったり。
そんな中で、比較的安心してコーヒーが飲めたのがドトールだった。
あの頃は、韓国にもドトールがあった。
当時の私はタバコを吸っていたので、歩き疲れるとドトールを探して、コーヒーを飲みながら一服していた。
明洞のメインストリートにはスターバックスもあった。
そして驚いたのが、喫煙所があったこと。
今では考えられないけど、当時は韓国スターバックスでタバコを吸っていた(笑)。
そして最後は「ハングル酔い」
一番大変だったのは、やっぱり言葉だった。
今ではスマホの翻訳機能もあるし、日本語を話す人も多くなってきたので、韓国語がわからなくても困ることがあまりなくなったようだ。
当時は日本語を話せる人が今ほど多くなく、韓国人は日本人より英語が得意、なんて話も聞いていたけど、少なくとも私が行った場所では英語はほとんど通じなかった。
私も英語が得意なわけではないけど、学校で習った程度なら多少は話せた。
でも、それも全然役に立たない。
今みたいに英語表記はほとんどなく、どこへ行ってもハングル、ハングル、ハングル。
もちろん私は一文字も読めない。
最初は珍しかったハングルも、3日間ずっと見続けているうちに、最後の方にはもう完全に「ハングル酔い」(笑)。
何かを探すときや確認する時に見てしまう看板や案内表示が全部韓国語だから、ついついわからないのに見てしまう。
見ると、ハングルが目に入り、
「もう無理〜」
と脳がパニックを起こし、本当に気持ち悪くなった(笑)。
そして日本へ帰ってきて、成田空港から乗った電車の車内広告を見た瞬間、
「全部読めるし理解できる〜(涙)」
本気で感激した(笑)。
たった3日間だったけど、文字が読めて、言葉が分かるってこんなに楽なんだと思った。
でも、不思議なことに、
「もう韓国はいいや」
とは思わなかった。
むしろ逆。
分からないことだらけだったから、もっと知りたくなった。
そして、その気持ちを決定的にしたのが、倉洞のハナロマートで出会った一人のおばちゃんだった。
次は、私が韓国語を始めるきっかけになった、そのおばちゃんの話。

