第5話|知らないおばちゃんの一言が、韓国語を始めるきっかけになった
初めての韓国旅行で困ったことのひとつが、買い物だった。
市場にも行ったけど、当時の私は韓国の食材についてほとんど知らなかった。
知っている韓国料理といえば、キムチや焼肉くらい。
市場に並んでいるものを見ても、
「これ、何?」
というものも多かった。
しかも韓国語も全く分からないから、これが何なのか、いくらなのかも分からない。
聞こうにも聞けないし、聞いたところで答えがわからない。(笑)
市場を見て歩くのは面白かったけど、いざ買おうと思うとハードルが高くて、結局見学だけ。
わざわざ倉洞まで買い物へ
今ならソウルのあちこちに大型スーパーがあるけど、当時は今みたいに旅行者が気軽に行ける大型スーパーがなかった。
そこで私が行ったのが、地下鉄4号線の倉洞駅にある農協ハナロマート。
スーパーなら商品を見れば、ある程度は想像できる。
韓国語が分からなくても、じっくり吟味することができるし値段も書いてある、店主に買えとまくしたてられることがないから、市場よりずっと買いやすい。
そう思って、わざわざ地下鉄に乗って倉洞まで行った。

2025年に撮った倉洞のハナロマート。初めての韓国旅行でも、わざわざここまで買い物に来た。
倉洞駅で初めて食べた屋台トースト
倉洞駅の改札を出たところには、屋台が何軒か出ていた。
その中で、一番手前にありパッと目をひいたのがトーストの屋台だった。
大きな鉄板の上にバターの塊を手に持って、グルグルと鉄板にこすりつける。
食パンを並べて焼いてる横に、野菜の入った卵を焼く。
チーズをのせ、キャベツの千切りをのせ、手際よく作っていく屋台の主。
私はその時は三度の飯よりパンが好きだったので、見ていたら当然食べてみたくなる(笑)。
分厚い出来立て熱々のトーストを買って、ワクワクしながら食べてみてびっくり!
なんと、甘いのだ!
卵やキャベツが入っているのに、そこへグラニュー糖とケチャップがたっぷり。
「え?砂糖とケチャップ?」
日本では野菜と卵をはさむサンドイッチと言えばマヨネーズ。
甘いなんてありえないから、一瞬頭がパニック。
でも、二口目三口目と食べていくと…めちゃくちゃ美味しい。
これにはかなり衝撃を受けた。
当時は円のレートも良かったし、値段もかなり安かった記憶がある。
今では韓国の屋台トーストもよく知られているけど、私にとっては倉洞駅で食べたあのトーストが思い出の味だ。

いまではすっかりきれいになった2025年の倉洞駅前。2001年、ここで初めて韓国の屋台トーストを食べた。

2022年に食べた韓国トースト。2001年に倉洞駅の屋台で食べたものとは違うけど、あの時の味を思い出して時々食べたくなる。
キムチ、海苔、胡麻油、塩辛
ハナロマートでは、本場の韓国のものをいろいろ買った。
キムチ、海苔、胡麻油、塩辛。
当時韓国食材が今みたいに気軽に手に入りにくかったから、特にキムチは、日本へ持って帰りたかった。
いくらスーパーとは言えども、キムチは対面の量り売りだった。
韓国語がわからないから身振り手振りで伝えた。
お店の人も外国人が買ってくれると思ったのか、親切に対応してくれた上に、ラップで何重にもグルグル巻きにしてくれた。
アメフトボールみたいになったキムチを見て、その時の私は、
「汁が漏れないように、しっかり包んでくれてるんだな」
くらいにしか思っていなかった。
飛行機の中でキムチの袋が膨らんだり、場合によっては破裂することもあると知ったのは、もっと後になってからだった。
今思えば、あのおばちゃんは外国人が飛行機に乗って帰るんだろうと、気を利かせてグルグル巻きにしてくれたんだなぁと優しい人に当たってよかった(笑)。
そして気づけば、水分の多いものばかり買ってしまい、すごい重さに。
でも、それはある程度予想していたので、日本から車輪付きの買い物カートのバッグを持って行っていた。
我ながら、こういうところだけは準備がいい(笑)。

今の韓国の売り場。初めての旅行では、キムチや海苔、胡麻油、塩辛などを買って帰った。
レシートを見ていて、私が買ったキムチには税金がついていないことにも気がついた。
その時、
「キムチって、本当に韓国の人の生活になくてはならないものなんだなぁ」
と思ったのを覚えている。
ベンチで知らないおばちゃんに話しかけられた
買い物が終わった頃には、荷物も重いし、かなり疲れていた。
お店を出たところにベンチがあったので、しばらく座って休むことにした。
店内は暖房で暑い上に、買い物で奮闘して体温の上がった体に冷たい気温が心地よかった。
隣には、おばちゃんも一人座っていた。
すると、そのおばちゃんが私の持っていた車輪付きの買い物バッグを指差して、何か話しかけてきた。
たぶん、そのバッグが珍しかったんだと思う。
今でこそ、買い物するのに車輪付きのカバンをみんな引きずって歩いているけど、当時の韓国では持ってる人は見かけなかった。
おばちゃん、一生懸命話しかけてくるんだけど、何を言っているのか全然分からない。
あまりにも話しかけてくるので、仕方なく日本語で、
「日本人だから分かりません」
と言った。
でも、不思議なのがそのおばちゃん。
私が日本語で話してるから当然外国人だとわかってるはずなのに、態度を変えることなくそのままずっと話しかけてくる。
これが私にはものすごく不思議だった。
日本だったら、知らない人にこんなに気軽に話しかけること自体あまりない。
ましてや相手が外国人で言葉が通じないと分かったら、すーっと黙ると思う。
でも、そのおばちゃんはお構いなし。
相変わらず一生懸命話している(笑)。
私はそれを見ながら、
「韓国の人って面白いなぁ」
と思った。
そして、そんなに一生懸命話してるおばちゃんを見ているうちに
「次に来る時は、この人が何を言っているのか少しでも分かるようになりたい」
と思った。
もう二度と会うこともない人なのにね(笑)。
その後も何度も行く場所になった
その後、韓国語を勉強するようになり、韓国人の知り合いも増えた。
そして、今では私が「お母さん」と呼んでいる友人とも出会った。
そのお母さんの家がスユ駅の近くだったので、留学中はそこから歩いて、よく倉洞のハナロマートまで買い物に行った。
ハナロマートも当時と比べてずいぶん変わったけど、
「あのおばちゃんに話しかけられたベンチって、この辺だったのかな?」
と思う場所を見つけたこともある。
もちろん、本当に同じ場所だったかは正確には分からない。
でも、私の韓国人生がここで始まったのかと思うと、行くたびに不思議で感慨深いものがある。
分からなかったから、もっと知りたくなった
初めての韓国旅行は、分からないことだらけだった。
市場では、何が売っているのか分からない。
地下鉄では、ハングルが読めない。
英語もほとんど通じない。
人に話しかけられても、何を言っているのか分からない。
ほとんど人と話すことなく、看板を頼りに行動していた。
でも、当時は日本語どころか英語標記もほとんどなかった。
どこかへ行くのに、看板探すとハングル、メニューを見てもハングル、地下鉄に乗ってもすべてがハングル。
最後の方には完全に「ハングル酔い」して、気持ち悪くなってた(笑)。
帰国して、成田空港から電車に乗った時、車内広告を見て、
「全部読めるし分かる〜(涙)」
と安堵し、母国語なのに言葉が理解できることに感動して涙が出そうだった。
でも、不思議と
「もう韓国はいいや」
とは思わなかった。
むしろ、
「もっと分かるようになりたい」
と思った。
あのおばちゃんが何を言っていたのか。
街の人たちは、大きな声で何を話していたのか。
次に韓国へ行った時には、少しでも自分で話せるようになりたい。
そう思って、帰国してすぐ韓国語の勉強を始めた。
これが、私と韓国語との始まり。
まさかこの時は、それから25年以上も韓国語を勉強することになるなんて思ってもいなかった。
そして韓国語を始めたことで、私の韓国との付き合いは、ここから少しずつ変わっていく。
