第2話|韓国に着いて早々、地下鉄で半泣きした。
2001年1月17日。
いよいよ、初めての韓国に降り立った。
期待でいっぱいだったはずなのに、韓国に着いてから宿にたどり着くまでに、早くも泣きを見ることになる。
韓国語も分からない。
ハングルも読めない。
スマホもない。
今思えば、
「よく一人で行ったなぁ〜」
と我ながら思う(笑)。

初めての韓国。
2001年1月17日に金浦空港から入国し、1月19日に帰国。この2泊3日が、私の韓国26年の始まりになった。
まず驚いたのは、寒さだった
当時はまだ仁川空港もなく、到着したのは金浦空港だった。
空港から地下鉄に乗るため、初めて韓国の地へ出て、まず驚いたのが寒さ。
事前に学習して、ソウルの1月の気候はマイナスになるって知っていたものの、実際にあまり体験したことないような寒さ。
空気がピーンと刺さるような感じで、普通の呼吸でさえも、まるでたばこの煙を吐いているように真っ白。
「韓国って、こんなに寒いんだ」
と思ったのを今でも覚えている。
日本から飛行機で3時間もかからないくらいの距離なのに、こんなにも違う。
韓国に着いて最初に、この寒さが珍しかった。
一人でしばらくスーハ―と息の白さを楽しんでいたけど、いやいや、寒さに遊んでいる場合じゃない。
ここから一人で、東大門に予約した宿まで行かなければならない。
鐘路3街で乗り換えるはずが…
金浦空港から地下鉄に乗って、東大門へ向かった。
東大門までは、途中で一度乗り換えが必要だった。
私が何となく覚えているのは、鍾路3街駅で1号線に乗り換えるつもりだったということ。
ところが、乗り換え駅だと思って降りて、気づいたら地上にホームがいくつもある駅にいた。
鍾路3街駅は乗り換え先も当然地下鉄だと思っていたから、突然現れた地上の駅に
「え?なんで?」
と一気に頭が真っ白になってしまった。。
しかもその地上駅は運の悪いことに、ホームがいくつもある。
どのホームから、どこ行きの電車が出るのかもわからないどころか、果たして自分が今どの駅にいるのかさえもわからない。
今では日本語表記はもちろん、アナウンスまでも日本語でしてくれるけれど、2001年当時は英語標記さえもない時代。
韓国語は話せないし、ハングルも読めない。
今みたいにスマホで現在地を確認することもできない。
重いスーツケースを持ってウロウロするばかり。
韓国に着いて早々、パニックで涙が出そうになった。
だけど、ここで泣いてなんかいられない。
ハングルの”形”を見比べて
気を取り直してとりあえず階段を上がると、他のホームへ行く通路があって、その壁に路線図があった。
路線図にある今いる駅の文字の形をガイドブックの路線図と見比べて、やっと現在地がわかった。
現在地がわかった途端、ちょっと気が楽になった。
次は、それぞれのホーム入口にある看板に書いてある行先のハングルを見て、ガイドブックの路線図のどこにあるかを探した。
行先の駅がわかれば、路線がわかる。
そんな感じで一つずつ確認しながら、どのホームから乗ればいいのかがやっとわかった。
その時の安堵感と言ったら…26年たった今でも、その時の気持ちは昨日のことのように鮮明によみがえる。
なんとか自分が乗るべきホームもわかり、乗り換えをして東大門駅へ。
紙の地図を頼りにモーテル探し

「やっと着いた〜」
と東大門駅のホームについて安堵したのも束の間、今度は重たいスーツケースを持って駅の階段を上がる。
やっと地上に出たら、そこから予約していたモーテル探し。
当時の東大門は今みたいにきれいに整備されていなくて、道もガタガタだった。
日本から印刷して持ってきた地図を見ながら、ガタガタ道をスーツケースを引いて歩いた。
今ならNAVERマップを見ればすぐなのにね(笑)。
何度も地図を確認しながら、やっとモーテルに到着。
「あ~これで寝る場所は心配しなくていい」
そんな風に思った(笑)。
まだ宿の着いただけなのに、すでに相当パワーを使ってしまった感じだけど、貴重な3日間疲れたなんて言ってられない。
スーツケースをとりあえず置いて、初めて見る韓国の街へ繰り出した!
私の貴重なソウルでの3日間がついに幕開けした。
