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利き手を火傷 その後の経過記録2

#怪我#火傷

利き手を揚げ物油によって火傷をし、休日診療で病院に行った翌日から韓国へ行きました。韓国滞在中に塗り薬が残り少なくなってきたので、薬をもらうためソウルの病院を訪ねて行きました。

揚げ物を調理中に利き手を火傷し、休日診療で病院に行った翌日ソウルへ行きました。

ケガの発生状況とこれまでの経過はこちらの記事をご覧ください。

日本の病院では、休日診療の場合十分な量の薬を出せないということ。担当の医師が、韓国の病院で薬をもらうよう薬品名と治療について書いてくださいました。

火傷負傷7日目 ソウルの病院へ行く

ちょうど軟膏が少なくなってきたのと、翌日から週末ということで、負傷7日目の2月23日(金)に病院へ行くことにしました。

ソウル市内の行動範囲内で、総合病院でなく火傷治療ができそうな病院を見つけ、韓国の友人に見てもらったところ良さそうだというので、その病院に決定!午前中に病院を訪ねました。

新村駅近くにある皮膚科です。入口からして美容系の看板ばかり。医師以外は、黒いタイトスーツの制服を着て、日本の皮膚科とは完全に雰囲気が違います。患者も若い女性や男性ばかりで、完全に美容目的のような雰囲気です。

受付で、火傷治療と薬が欲しいこと、日本人で旅行で来た旨を伝えると、パスポートを要求されました。予約優先のようで、午前は予約で埋まっているので午後一番に来るよう言われ、出直して午後に再度訪ねました。

さほど待たずに治療室に案内され、医師に診ていただきました。今は軟膏を塗るしかできないこと、傷やひきつれが残るだろうとのこと、日本にもレーザー治療があるはずだとの話をされました。その後看護師がドレッシングをしてくれたのですが、その間いろいろ気になることを教えてもらいました。

ひきつれと傷は、今は大丈夫でもこれから治る段階で出ること、動作はできるが筋肉の痛みが出ること、感染症を防ぐため患部を清潔にして、乾燥させないように保湿と紫外線に気をつけることなど、丁寧にこちらの質問に答えてくださいました。日本では言われなかった傷とひきつれの件は、ズバッと言われちょっとショックでしたが、逆に動かせるようになると聞いて少し安心しました。

細菌の感染を防ぐエスロバン軟膏と抗生物質の飲み薬を処方されました。エスロバン軟膏はニキビ治療にも良いらしいです。そしてびっくりしたのが、飲み薬!なんとビニールの袋に入ってます。

飲み薬は途中でやめないで最後まで飲み切ってくださいと言われたけど、韓国滞在中に傷の様子がおかしくなったら、その時は覚悟決めて飲もうと結局飲みませんでした。

火傷負傷8日目

ソウルの病院でもらった軟膏を塗って、翌朝ドレッシングのためにガーゼを取ってみたら、あら、なんか傷が落ち着いてる。

韓国の薬は強くて良く効くとは昔から聞いてましたが、実際薬を使ったのは初めてだったので、かなりビックリしました。

そして、ソウルに来てすぐ会った友人が火傷の話を聞いて、知り合いが製薬会社に勤めていて、以前友人のご主人が火傷した時に「皮膚再生クリーム」をもらったことがあると話してくれました。ご主人は結局使わず傷が残ってしまったけど、火傷専門の病院に納めている高い薬らしいから聞いてあげるとその場で連絡し、送ってくれることになりました。

その薬が届いたというので、もらいに行きました。

実際はこの倍くらいの量をもらいました。クリームというより、ジェルのよう。とっても粘り気があって、トロロのように糸をひきます。傷が閉じたら塗るとのこと。さっそくこの日から、傷口ではない部分に塗ることにしました。

火傷負傷9日目

完全に滲出は出なくなり乾いてきた分、段々と表面の皮が黒くなってきました。もちろん全く痛くはないのですが、見かけが痛そうです。

火傷負傷10日目

一番ひどかった手のひらが、一番早く治りそうなくらい良い感じです。痒みもところどころ出始めて、痛いのもつらいけど、かゆいのもつらい我慢の時です。

火傷負傷11日目

火傷負傷12日目

水膨れができた部分の表面の皮が、乾燥してところどころ浮き始めてきました。色は相変わらず赤黒く痛そうに見えますが、全く痛みはありません。来た時に比べると、滲出もでないのでガーゼも薄くなり、使えるようになってきました。

そして、翌日は日本に帰国です。

火傷を負ってすぐ連絡した看護師の友達に、今の様子を写真で送ったらきれいに治ってきていると言われました。感染症を心配したけれど、感染症にもならずここまで回復してきたのは、毎日きちんと手当をしたからだねと褒められて、嬉しくなりました。

毎日朝晩、慣れない左手で右手の処置をするのは時間が掛かって大変でしたが、頑張った甲斐がありました。日々傷を修復しようと頑張ってる自分の細胞が、とっても頼もしく愛おしい気持ちです。

そしてこの火傷のお陰で、会う人会う人がみんなどうしたんだと聞いてくるので、それを説明したり薬局に買い物に行ったりと、新たな韓国語の単語もたくさん覚えました。これぞ怪我の功名ですね。

火傷負傷21日目

火傷をした部分の皮膚ができてきて、上の皮がだんだん浮いてはがれてきました。見た目はかなりグロテスクですが、まったく痛くはありません。

ただ、まだ皮膚は薄いので、お風呂のお湯でも熱く感じ、ちょっと当たっただけでも痛いです。

火傷負傷24日目

手の甲側の古い皮は全て取れました。手のひら側は、皮膚が厚いせいか所々残っています。

今日で、抗菌作用のある軟膏は卒業し、ケロイド防止のためのヘパリン類似物質油性クリームになりました。そして、ガーゼと包帯も卒業!これからは、保湿と紫外線対策が課題となります。

火傷負傷1か月目

1ヵ月たち、古い皮もすべてはがれ、新しい皮膚に生まれ変わりました。相変わらず薄いので、軽くぶつけるだけでも痛いですが、お風呂のお湯は熱さを感じなくなりました。

赤みは残ってますが、ずいぶん落ち着いてきました。新しい皮膚はすべすべで赤ちゃんの肌みたいで気持ちよいです。

火傷負傷37日目

病院での診察がとうとう終了しました。

この赤みは消えるまでかなり時間が掛かるようですが、今のところひきつれもないし、ケガ前ように手も動かせます。ただ、まだ皮膚が薄いせいか、すこしぶつけただけでも血豆ができたり、ケガをするので、ゆっくり注意しながら手を使うようにしています。

そして、新しい皮膚の部分が少し感覚が鈍い感じがしますが、相変わらず柔らかくきめが細かいので、化粧水やクリームを顔に塗る時はうっとりするくらい気持ちが良いです。

今後はそんなに大きな変化はないと思うので、今後また何か変化があれば記録として残そうと思います。

人前に出る時や外出する時は、常に手袋をしていますが、ひょっとしたらレッスンの時には作業性のため外す場合もあるかも知れませんが、今はもっと赤みも落ち着いてきているのでご了承くださいね。

この記事の著者

天野 直美

1963年5月25日東京生まれ。幼少期よりものづくりが好きで、ジャンルを問わず独学で習得。2001年1月に韓国へひとり旅したの機に韓国語を習い始め、以降韓国に深い興味を持つ。渡韓を繰り返すうちに韓国伝統文化の美しさに魅了され、コロナ渦の在宅を機に韓国の民族衣装「韓服」のミニチュアを作り始める。2021年31年勤務した会社を退職し、小さなチマチョゴリのオンセミロマダンを立ち上げる。2022年長年の夢であった韓国へ9ヵ月の語学留学をし、6級を卒業。2023年帰国後本格的に活動を始め現在に至る。

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